物事はハッキリと白黒つけた結末じゃないと納得しないめんどくさいわたしの性格。
小説、映画、ドラマ。何であれ結末はAなのかBやなのか?なんてのは困る。
至高の作品ならそれも受け入れられるんだけれどね。
至高の作品と言ってパッと思い出せないから、しょせん私の記憶や思い入れの深さが薄っぺらいことを自己認識している。
なんちゃって知識階級なんだよな。。。
そんなわたしがここ数年手に取って読んでいる恩田陸の小説たち。
このひとが紡ぐ物語は白黒つけたいわたしの性分からすると。
「非常にモヤモヤしてしまう。なのに読みたくなる。」
この一文に尽きる。
主人公のエリザベスとエドワードの恋物語が切ない。
あまりに切ない、それでいて美しい、加えて透き通っている感覚を覚える。
5つの編でふたりの出会い(再会)の瞬間。
一瞬のために人生をかけて、生死をかけて、輪廻を超えて。
そんなハッとするほどの恋を何度も体験できる喜び(それと同じ分の哀しみ)を得られるというのはステキなことなのかもしれないし、残酷なことなのかもしれない。
あとがきにメロドラマを書きたかったとあり。
お昼にやっていたような「よろめきメロドラマ」に感じる「きみたち、いいかげん気づきけよー」などといった下世話な感想を抱くことはなかった。
時空を乗り越えたり、英国王室をはじめの史実のエッセンスを軸に置いて書かれているから、知的好奇心も満たされながら。
「天球のハーモニー」の編、コリン・ファース主演でアカデミー賞を獲得した映画「英国王のスピーチ」を鑑賞していたことがこの物語にも役立ってちょっと嬉しく思いながら読み進めた。
もし未見な方がこのエントリーを読むのなら。
どちらが先でも構わないけれど「英国王のスピーチ」も観てください。
ひとつだけ、残念というか、これは何?って感じたのが
「イヴァンチッツェの思い出」の編
なぜパナマ?なぜ米国?
それがわからなかった。
わからないからなんだろう、この編だけが他の編と違って「浮いている」ように感じた。
そして、結末がハッキリしない恩田陸作品をまた読んでみようと思う。
軽く恩田陸中毒かもしれない。
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