2014年1月18日土曜日

ゼロ・グラビティ

原題「Gravity」

阿刀田高のエッセイによく登場してくる17世紀のフランスの戯曲家ラシーヌ
彼が提唱した作劇のルールが三・一致の法則
芝居は「時の一致」「場所の一致」「筋の一致」
「時の一致」=24時間以内
「時の一致」=場所は一つであること
「筋の一致」=一つの筋を中心として他のエピソードが交わらない
この原則に当てはまる、とてもシンプルで分かりやすい筋立てに仕上がっている。
振り返ってみれば、僅かに90分のfilmである。
うわー、と、目を覆ってしまいたくなった

音がない世界のリアルな体感とその恐怖
後方で衛生が大破して、破片が粉々に砕け散り自身に危機が迫ってくるのにそれを知らないままでいる。
無知なるがままでいる方が幸福なのか?
死が迫り来る状況を知りえる方が幸福なのか?

たった今まで主人公の目の下にあった地球が次の瞬間では目の上に来ている。
つまり主人公は宇宙の中でクルクルと回転していることが分かるのだ。
これを3D、で、尚且つIMAXで観賞したので「目が廻る廻る」
鑑賞して暫く酔っ払ったような感覚に襲われたまま、不可思議な余韻に否応なく浸らされてしまった。

ジョージ・クルーニーが演じたコワルスキーの決断が、同性である男として頷ける。
男という性には、確かにああいう心理が働く。
コワルスキーはライアン博士に恋情を抱いているわけではなく、同僚、または戦友として関わってきたのだろう。
愛する女との別離には私の目には映って来ず、戦場で敵陣の真っただ中に突撃していく戦士の目に映った。

本来安全なはずの宇宙船の中でも
次々とライアンを襲う不測事態
翻ってライアン博士の束の間の夢にコワルスキーが登場してきたのはどう解釈すればいいのだろう?
女ならぬ身としては想像しかできないのだけれど、頼れる存在、信頼しつくしていた存在だったからなんだろう

このところ3D映画にさほどの魅力を感じていなかったのだけれど、久々に3Dの素晴らしさを余すことなく心ゆくまで堪能できる作品の登場だ。
3D映画の金字塔といえば、「アバター」だけと言っても過言ではなかったけれど、ようやく今作の登場によって
ファンタジーの金字塔=アバター
仮想体験の金字塔=ゼロ・グラビティ
と、二大金字塔にカテゴライズしても問題なかろう。

サンドラ・ブロックが宇宙服を脱ぎ捨てて下着姿になるのだが(これが筋肉質な体でセクシーさを抑えていた)これは「エイリアン」のエレン・リプリー(シガニー・ウイーバー)へのオマージュであり、リスペクトであるのだろう。
そのほかにも幾つものSF映画へのオマージュの類が散りばめられているのだろうけど、精通していない我が身では具体的には分からない。
そんなことは二の次、クルクル感を堪能せよ!


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