2014年1月8日水曜日

大瀧詠一が北極星になってしまった

私が中学生の頃は薬師丸ひろ子ファンだった。
薬師丸ひろ子は大瀧詠一のファンだった。
彼女がDJを務めていたラジオ番組で大瀧さんのコンサートに行ったことを言わなければ、僕は大瀧詠一の音楽を聴く機会はもっとずっと後ろに伸びたことだろう、あるいは聴かないままで終わった可能性だってある。
大瀧詠一の音楽を聴いて、ナイアガラトライアングルで佐野元春と出会った。

大瀧さんとの邂逅が無くても、佐野元春には別経路(こちらがメインの邂逅だけれども)で、出会っていた。
それでも大瀧さんの音楽との触れ合いがなければ、私の佐野元春へのパッションはここまでの熱を保ち続けることはなかっただろう。
大瀧さんがいなければ、佐野元春が今の地位を築くことだってなかった可能性だってある。


「A LONG VACATION」中学三年の頃に聴きまくった。
ませていた私は「雨のウエンズデイ」から始まるB面が大好きだった。

「EACH TIME」高校一年の頃に聴きまくった。
高価で珍しいTEACのメタルテープでダビングした

ティーンネイジの少年は大人の恋に憧れ、片思いの辛さを大瀧さんのメロディと歌声で随分と癒してもらった。
16歳から45歳になるまで、ずっと新しいアルバム発表のニュースを心待ちにしていた。
生きている大瀧詠一がニューアルバムをリリースして、佐野さんや山下達郎や伊藤銀次へあれこれ講釈してくれることを期待していた。
だから、追悼アルバムの類にはあんまり興味が湧かない
(それでもきっと入手したくなるだろうけど)

大滝さんの不在を嘆くことしか今はできない。
それでも、これだけは伝えておきたい。
大瀧さん、ありがとう。


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