柳の下の泥鰌になって、前作は未鑑賞なのに、いそいそと鑑賞に赴いた。
寛政の改革をご存知だろうか?
賄賂政治の田沼政権から、奥州白河出身者の松平定信がありとあらゆることに清廉さを希求した改革
後の狂歌に「白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼かひしき」
と、言われた
バブル時代を田沼政権として、昨今の法令遵守至上主義を寛政の改革だと、個人的には感じている。
ありとあらゆることが色んな人が法令やルールで定めているのだが、相互間で通じているわけではない。
一方で奨励し、その一方で抑制する、そんな法律・ルールは気づけばいくらでも存在している。
私は、企業に属する者で、様々な省庁から発せられる法律を元にした社内ルールを守ることが求められている。
遵守が最優先とされているが、時としてそれは相手の為にならないこともある。
「法令の目的は何?」「その本質は今の状況を想定して作成されたものではないでしょ!」
と、いったものが発生するたび、それでも遵守を求められて、私の精神や肉体は疲弊していく。
そんな者にとって、法の外の世界は憧れに映る。
「濁りの田沼」を全否定することはないじゃないか!
法を破りたいとは思わないけれど、法が制定された趣旨から逸脱するような状態を招くのであれば破ってもいいと思うのだ、緊急避難措置として。
こんな状態に遭遇したとき、私は「めんどくさい」とブツブツ言って昇華させて行っているけれど、本当に昇華させることは「バカヤロー」と叫ぶことだ。
そう、私は善良であることに疲れている。
だから善良ではない世界に浸りたかった。
残念ながら法外の世界でも仁義や慣習とかで縛られており、その洗礼を浴びたのが中尾彬が扮するヤクザ。
その対極にいるのがたけし扮する大友
彼はあらゆる縛りから解き放たれており、自由に生きている。
「何が正しいか?」
「あるべき状態は何か?」を理解して生きている。
彼が生きる様に憧憬を抱く。
多分にご都合主義な展開でスーパーヒーローに映ってしまったのは減点要素だと考えないといけないけれど…。
第三弾が製作されるのであれば、大友の獄中での振る舞いにスポットを当ててみてもいいのではないかと感じる
「アウトレイジ ビットウイーン」というタイトルになるけれど(笑)
音楽では、張り詰めた緊張感を演出するために鈴木慶一のギターがよく似合ってた。
映像では、加瀬亮演じるヤクザの末路の姿が強烈だった。
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