2019年10月13日日曜日

スティング

19年、16作目
スティングはずいぶん以前にBSで放送されたのを鑑賞したことがある。
愚かにもそのときはうたた寝しながら鑑賞したので結末の「とどめの一撃」(TheSTING)がちんぷんかんぷんだった。

機会があればこの作品をもういちど鑑賞したいと思いながら時間ばかりが経過していた。
レンタル屋さんや、オンデマンドでいつでも鑑賞できると思うと却って鑑賞する機会が失われていく。そんなものかもしれません。
この作品も前述の「砂の器」同様、午前十時の映画祭のラインナップにあることを確認して、いそいそと鑑賞に繰り出した。

「さらば愛しきアウトロー」でお別れしたはずのロバート・レッドフォードにスクリーンで再会できて(しかも彼はいつの間にかわたより若くなってやがる!)嬉しい限り。
ポール・ニューマンもわたしより若い、なんかズルい・・・笑

映画館で集中して鑑賞すると、この作品の大きな展開である騙しあいがよく頭に入ってきた。
「ああ、なるほど、こいつはあいつを騙そうとしてるんだなあ。」と。

しかし。
ターンぐポイントとなる「転」の騙しあいは伏線が張られていないので「ええええっ!」となる。
いやそこから先が最後の「STING」に転がり続けていく。
まさしく「うひゃあ」もの。
BSでうたた寝ながら鑑賞では「?」だったクライマックス、館内で(脳内では)スタンディングオベーションをささげたわたくし。

音楽も小気味よく。
この作品のテーマ曲、昔から何度も聴いていたあのメロディなのね。
タイトルは「エンターティナー」

また映画館に鑑賞に行きたいと思う。
だから午前十時の映画祭、来年度以降も継続しておくれ!!!

砂の器

19年、15作目。
「午前十時の映画祭」、初体験。
安価で絶対的名作が鑑賞できる。
今年が最後らしいけれど、今後も継続してほしいと思います。
NetflixとかHULUとかおうちのテレビで鑑賞できる映画が今後の鑑賞文化になっていくのかもしれませんが。
映画館に足を運び、館内が暗くなり、知らないひとたちと同じ作品を鑑賞する。
いい文化だと思います。
そこでロマンスもある(あった)ひとも多かったろうし。

今中居くんが主演していたドラマが鑑賞の発露。
2年前に原作も読んだ。
原作の犯人は今作よりももっと冷酷な印象。

主役どころの役者よりも、犯人の父加藤嘉、犯人の子供時代を演じた方の表情がとてもよかった。
表情の行きつくところ、「目」

後半、音楽を背景に父子がさすらってきた数年がセリフなしで展開していく。
言葉が発せられないことが、却ってこの父子が受けてきた苦難が訴えかけてくる哀しみが切実だった。

記憶にございません!

19年、14作目
年に2回ある会社の儀式が終わった当日が公開日。
この儀式に至るまで知力、気力、体力を削がれてしまうので、今作の鑑賞を心の報酬にして、終業と同時に退社して鑑賞に赴く。
期待が大きかったぶん。
だからなのか
このところのフジテレビの凋落ぶり。
だからなのか。
どちらかよくわからないけれど、「素敵な金縛り」ほどの楽しみはなかった。
いや、じゅうぶんに楽しい作品だし、クスクスと笑えるシーンも多かったし、ほっこりする展開、心も温かくなれる。

つらつらと考えてみるに、「記憶にございません!」は分りやす過ぎた。
三谷幸喜の作品って100%わかりやすいよりも95%わかりやすくて5%の「?」があるほうが深みが増して味わい深い(コーヒーのようだ)

美女そろいで目の保養ができたのが何よりの心理的報酬だった。
小池栄子が思っているよりも遥にいい女性になっていた。
石田ゆり子は鉄板。(”マチネの終わりに”、彼女目当てで鑑賞に行くかも)
吉田羊、ホテルの窓に向かって”バーン”、ヤラれました。

壬生義士伝で共演していた中井貴一と佐藤浩市。
こんなコメディで再共演。。。
どちらも芸達者、真剣にバカな役を演じきっている。
本気で演じてこそコメディは笑える。

真田丸から、草刈正雄、木村佳乃、吉田羊。
草刈官房長官から「大博打の始まりじゃあっ!」と叫んでほしかったなあ。





2019年10月12日土曜日

アド・アストラ

19年、13作目
会社の同じ組織にいる後輩はSFもの(彼が言うのは”宇宙もの”)が好みだと。
インターステラーは未見だけどもうすぐ観るんです。
ゼログラビティは良かったっす。EtcEtc。
そんな彼が今作はどうなんですか?と鑑賞を終えた翌週に尋ねてきた。

わたしのことば。
「うーん、わざわざ舞台を宇宙にすることはなかったんじゃないかな」
我ながら言いえて妙ではないかと自負している。

月やら火星やら、果ては海王星か冥王星まで旅をするんだけど、父親を捜すという自分の欲求のためだけにそこまでのパワーあるかな・・・?
宇宙でのイベントもストーリーが細切れのぶった切りで「??」「??」なシーン。
後半になってもそのシーンが繋がっていくような楽しみも得られず。

批判はあんまりしたくないけれど、この作品は”これ”という見どころが薄かった。
幾つかあるクライマックスもこれまでのSF映画の焼き直しに感じてしまうようなものばかり。

父親を追い求めるのが息子。しみじみとそれを感じることはできた。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

19年、12作目
タランティーノ監督の作品の良さはわたしはよくわかっていない。
「わからない」ではなく「わかっていない」

今作の事実としての結末は、作品を観ながら思い出した。
事実の結末と、映画の結末は異なる。
この結末を落としどころにしたタランティーノは平和を愛するひとなんだろう。

イングロリアス・バスターズにせよこの作品にせよ、実際の事件・犯罪を起こした人物を彼は徹底的に抹殺する。
暴力的な描写が多いひとだけれど。
でも彼が抹殺するのはあくまでも映画という絵空事の中でだけだ。
絵空事のなかだからこそ、彼は狂暴なことをしたくなる。
つまるところ、タランティーノは差別をする人物を好まないんだと感じる。

タランティーノの作品や彼のこだわりを知悉しているひとにはこの作品、たくさんの小ネタで楽しみどころ満載なんだろう。
それだけの解説や知識を得てから鑑賞できたらなあと感じた。

2019年9月29日日曜日

ライオンキング

19年11作目
ミュージカルも他の映画も見たことがないので。
一般教養を身につけたい一心で鑑賞。
まるで実写のようなCGに驚く。
ところどころ、さすがにこれはCGなんだなあとわかるシーンもあり、批難する気にはならず、反対に「CGにも限界はあるんだなあ」とホッとしながら鑑賞していた。
何もかもがCGが現実と同じものを作れるようになれば俳優の存在意義がなくなって、映画の醍醐味が減っていくんじゃないかと遠い未来を空想してしまう。

作品については、息子がひとり立ちするまでの時間を2時間に詰め込むんだから、いろいろとご都合主義になるよね。
亡き父の思い出がふと甦った。
テリトリーから出てはならぬという父の諭し。
ああ、そういえば父はこんな感じでキツく言う生き物だったなあと。

「ハクナマタタ」いい呪文です。
仕事がイライラするとき、唱えてみよう。

さらば愛しきアウトロー

19年、10作目

わたくし、ロバート・レッドフォードが好き。
学生のころ野球映画「メジャーリーグ」(ワイルドシーング♪と歌うあれね)にヤラれて数本の野球映画を漁って鑑賞したときに出会った「ナチュラル」でレッドフォードにヤラれた。
それ以来、かなりお気に入りの俳優さん。いい男だし。
「リバーランズスルーイット(River Runs Through It)」で監督もしてたよね。
ブラッド・ピットが見いだされたころの作品。
でも鑑賞していない、、、つまりはそれくらいのレベルの「好きな俳優さん」
そんなレッドフォード最後のスクリーン作品だということで鑑賞。

1980年代に実在した銀行強盗の物語。
銀行強盗のシーンで銃弾が放たれることはなく、まして銃をスクリーンに見せることもしない。
(銀行強盗以外のシーンでは見せていたけど)
実際にはものすごく迷惑な銀行強盗のおじいちゃんだったんだろうけど、レッドフォードが演じると「小粋なおじい様」

「人生を楽しめ」
レッドフォードのメッセージ、受け止めました。

2019年8月10日土曜日

鬼平犯科帳(4巻)

「おまさ」「大滝の五郎蔵」「舟形の宗平」
初登場。
池波正太郎による盗賊の女性描写はたまらなくエロティシズムに満ちている。
この巻きでも「おみね」がそう。

対して「おまさ」の描写はエロティシズムとは無縁。
おまさが登場する編、彼女は今で言う「性暴力」の餌食になっている。
しかしおまさの裸体やその行為を私は想像できにくい。

おまさを清野菜名(半分青いの裕子役のひと)あたりに演じさせたらいいかなあと思いながら。
おまさは30代のバツイチ子持ちだから年齢が合わないな。。
また別の脳内キャスティングしながら読んでみよう。

あ、酒井祐介は高橋光臣が浮かんでます。

鬼平犯科帳(3巻)

この3巻で初めて短編ではなく、中編っぽい「兇剣」が書かれている。

それよりも「盗法秘伝」で盗賊に加担する平蔵。
ユーモアを交えながら、肩肘張らずに読める。

3巻、いちばんの話は「むかしの男」
「忘れた。」の平蔵の一言。
女性なら一発ノックアウトで恋に落ちるわなあ。

2019年7月19日金曜日

鬼平犯科帳(2巻)

1巻を読んだら、2巻に手が伸びるのは当たり前。
この巻から木村忠吾が登場する。
RPG「ドラゴンクエスト」(Ⅰ-Ⅶまでプレイしたかなあ)の呪文「パルプンテ」
効果は唱えてみないと分からないというリスキーな呪文。
忠吾の存在はまるでパルプンテのよう。
谷中いろは茶屋、お雪の乳房の2篇を読み、火盗の誰もが予想だにしないことを巻き起こす忠吾に愛称をつけるなら「パルプンテ忠吾」だな。

男女の事情での池波名言
女の場合、男の裏切りを知った時男よりも相手の女を憎む。
男はその反対だという。

そっかあ、だから女同士の会話って「腹の探り合い」みたいなものが多いのね。

人間の本性を見抜く池波名言
習慣は性格になるという

ああ、これ。
よく企業のお手洗いなどにも標語のようなもの見かけます。

2巻での一番読み応えがあるのは「妖盗葵小僧」
史実がベースにあり、そこから池波先生の創作が発展してエンターテインメント性が高い物語になっている
下世話なことが大好きな私にはポルノチックな展開を是非とも映像化してほしいところだけれど。
でもいちばんのポイントは鬼平がロクな取り調べをせずに、一身に非難を浴びることを覚悟のうえ小僧を刑に処すくだりだな。

テレビで演じた俳優さんの残像が強くて、読んでいて中村吉右衛門やお美としのりの顔がちらつくけれど、令和の時代に新しいキャストで製作すると仮定して。
誰が鬼平に?パルプンテ忠吾に?
それを考えながら読んでいる。
間抜けな盗賊にひとりにはフットボールアワーのボケの岩尾さん。
こすっからい盗賊の色男風に相方の後藤さん。




2019年7月10日水曜日

鬼平犯科帳(1巻)

単純明快でスカッとなれる、そんな作品が読みたくて数年ぶりに手に取った。
小房の粂八がまだ盗賊で、鶴やにも携わっていない。
この先なくてはならない存在になっていくひとなのだが、執筆時点では池波正太郎の脳内で粂八は最初からそのようになっていたんだろう。
何かの本で池波正太郎だけでなく小説家は、自ら生み出したキャラクターが自分の手を離れ独り立ちし読み手たちの世界へ駆け出していくんだ、それを否定したり路線変更することは無理が生じると書かれていた。
粂八もそのようにして池波正太郎ワールドを自由に駆け巡ったんだろう。(自由というのは鬼平に仕える身だから語弊があるかもしれないが。

本所・桜屋敷
やっぱり涙しちゃうなあ。
昔好きだった女のことはいつまでも忘れられないのが男
常に今しか生きていないのが女
他の篇、他の作品でも度々活字になっている池波正太郎の金言。

50年以前に執筆されている作品なのに、まったく古臭くない。
また、この50年前(奇しくもわたしと同い年だ)ですら、世の中の人と人の繋がりが希薄になったと文にある。
21世紀、令和の時代を天国から見ている池波正太郎の叱責を誰か文章にしてほしいもの。

「わたしが社長をやらせてもらっています」
そんな文章や言葉を聞いた日にゃ、長谷川平蔵が「ふふ」と笑われて相手にしてもらえんと思うよ。

2019年7月7日日曜日

図書館戦争

あ、そういえば。
この作品も映画化されて主演は岡田准一。
(やっぱり岡田君が好みらしい、わたし...。)

映画化もされ、アニメにもなっているんだね、この小説。
わたしは映像ものは未見で、文字だけで読み進めた。
のだが、この世界観が今一つ肌に感じることができずに読み進めるのにとても時間がかかった。
会話のところは小気味よく、テンポよく進められるのでそこは問題ない。

検閲制度が横行し、それに対抗する存在が図書館というのはわかるのだけれど。
なぜ、それが武装化しているのかが馴染めず。
最も読むのに苦労したのがミリタリーに関する事柄かなあ。

王子さまが実は教官、というのは読者でれば誰でもすぐに予測できます。
まぁ、そこが月9のドラマのノリ風なんだけどね。

シリーズ化された続編を手に取るかどうか。(;^_^A

アラジン

19年、9作目
50歳を過ぎたオッサンが金曜日の夜(一般的にデートする夜)にいそいそと鑑賞に赴いた。
アベンジャーズはスルーしたし、ゴジラもスルーしそうな勢いなのに。
アラジンを観に行くなんて、我ながら気恥ずかしく感じていた。
アニメのアラジンは観たことないし、物語のアラジンも知らない。
鑑賞の大きな動機は「一般教養としてアラジンを知る機会と思え」

自分自身が予想していた以上に感激してしまった。
感激のポイント
1)主人公ふたりは有色人種
  これ、かなり画期的なんじゃないかと。且つ白人が殆ど主要キャストにいない。
2)王女の決断
  このところ国もそうだし、勤務する会社も「女性活躍」を声高に叫んでいる。
  活躍のステージは誰かに与えられるものではなく、自分で勝ち取るもの。
3)ディズニーはいつだって、どれであれ妥協しない
  アラジンが王子に扮装してジャスミンのもとへ来るパレード
  圧巻。

将来の愛子親王の境遇などに思いを馳せながら、ジャスミン王女の決断にふっと涙してしまった。


ザ・ファブル

19年、8作目
どうしたって仕事をしているとストレスは溜まる。

作業そのもののストレス(PCがまともに動作しない)もあれば「あいつ」に起因するストレス。
誰しも対人関係だし、それも所属する部門に限定されることが圧倒的。
なんでこんなこと書くかといえば、2019年のこの時点わたしの心は少なからず病んでいるから。
その相手はふたり。
そのうちのひとりについて書くと、このひと数年前までは経営責任者だったひとだが、お役御免になってからの劣化が著しい。
顕著なことは
1)就業時間中ほぼ居眠り
2)公私混同が著しい(忘れ物をしたと言っては社用車で自宅に帰る)
3)言葉を発すれば怒ってばかり(叱るではなく怒る)

そんなおっさんの目の前んして毎日勤務していると、ときにブッパナシたくなる。
弾丸、罵詈雑言、ほうき、ちりとり、ゼムクリップ。
脳内でなんども上記以外のものも何度もブッパナしている。

前段をダラダラを書いたけれど、そんなストレスを発散、いや、解放されたくてこの映画を観に行った。

ジャニーズのうち、わたしがもっとも好きなのは岡田君なんだろうなあ、と淡く自己分析しながら。(永遠のゼロは観に行ったし、他にも彼が主演の時代劇はかなり気になっていたし)
そんな彼。
まぁ、「脱ぎっぷり」がよろしい。
全裸ショットが幾つもあり、「こりゃ岡田くんのファン女子はたまらんやろ!」というほど相当な露出っぷり。
ごちそうさまでした。

序盤の殺し屋本領発揮の料亭での殺しまくるシーンだけでも、冒頭のストレス源のおっさんに見立てながら、ガンガンに脳内で抹殺しまくり。(スカッ!と爽やか!)

男性陣のいかれっぷり、気に入っています。
向井理もかつての「ボンボンでいいひと」キャラクターから脱皮していこうとする意欲は感じられる。
柳楽優弥はなんでもできるユーティリティな道を進んでいる。

木村文乃が演じた役どころ、女殺し屋のエッセンスが散りばめられてほしい。
酒豪にしか見えないシーンに「スキのなさ」のエッセンスだな。
クライマックスのマドンナ救出作戦のくだり、作品中では省かれていたんだけど、この見せ方には賛成。
主人公は岡田君のファブルなんだしね。

山本美月が演じたマドンナ、かなり可愛い。
惚れた。
彼女のような顔立ち、わたしのDNAに「好き」とインプットされているに違いない。




2019年6月11日火曜日

ライオンハート

物事はハッキリと白黒つけた結末じゃないと納得しないめんどくさいわたしの性格。
小説、映画、ドラマ。何であれ結末はAなのかBやなのか?なんてのは困る。
至高の作品ならそれも受け入れられるんだけれどね。
至高の作品と言ってパッと思い出せないから、しょせん私の記憶や思い入れの深さが薄っぺらいことを自己認識している。
なんちゃって知識階級なんだよな。。。

そんなわたしがここ数年手に取って読んでいる恩田陸の小説たち。
このひとが紡ぐ物語は白黒つけたいわたしの性分からすると。
「非常にモヤモヤしてしまう。なのに読みたくなる。」
この一文に尽きる。

主人公のエリザベスとエドワードの恋物語が切ない。
あまりに切ない、それでいて美しい、加えて透き通っている感覚を覚える。
5つの編でふたりの出会い(再会)の瞬間。
一瞬のために人生をかけて、生死をかけて、輪廻を超えて。
そんなハッとするほどの恋を何度も体験できる喜び(それと同じ分の哀しみ)を得られるというのはステキなことなのかもしれないし、残酷なことなのかもしれない。
あとがきにメロドラマを書きたかったとあり。
お昼にやっていたような「よろめきメロドラマ」に感じる「きみたち、いいかげん気づきけよー」などといった下世話な感想を抱くことはなかった。
時空を乗り越えたり、英国王室をはじめの史実のエッセンスを軸に置いて書かれているから、知的好奇心も満たされながら。

「天球のハーモニー」の編、コリン・ファース主演でアカデミー賞を獲得した映画「英国王のスピーチ」を鑑賞していたことがこの物語にも役立ってちょっと嬉しく思いながら読み進めた。
もし未見な方がこのエントリーを読むのなら。
どちらが先でも構わないけれど「英国王のスピーチ」も観てください。

ひとつだけ、残念というか、これは何?って感じたのが
「イヴァンチッツェの思い出」の編
なぜパナマ?なぜ米国?
それがわからなかった。
わからないからなんだろう、この編だけが他の編と違って「浮いている」ように感じた。

そして、結末がハッキリしない恩田陸作品をまた読んでみようと思う。
軽く恩田陸中毒かもしれない。





2019年6月9日日曜日

黒革の手帳

「けものみち」に続き松本清張フェスティバル。
こちらも米倉涼子主演でドラマ化されていた。例によってドラマは未見。
こちらの主人公の元子を米倉涼子に置き換えるのはとても容易に脳内変換できた。
強気な性格、物怖じしない態度、押し出しの強さが私が感じる米倉涼子に通じるものがあるんだろうか。
いや、きっとこのバッドエンディングが米倉涼子に相応しいと思っているんだろうな。
(わたしが彼女にあまり好意を持っていないことが自己認識できた)


わたしが手に取った原作には武井咲が和服を着たカバーがかけられている。
(古書店で贖ったしね)
この主演は武井咲にはどうだったんだろうな?
背伸びした役どころを求めた意欲作だったんじゃないかなと思う。
いや、相変わらずドラマは未見だし、彼女、アッサリ結婚して子供も産んでいるから
わたしが知っている武井咲が実像よりも幼すぎる印象が強いんだろう。

主演女優のああだこうだよりも、実は一番感じ入ったのは「銀座」という地。
今は随分と気安くなっている地でもあるんだろうえけど。
今でもこの小説と変わらず、大金が動いているであろう高級クラブも多数存在する地。
そこに渦巻く欲望と欲望の格闘の場でもあるのね。

けものみちよりもこちらのほうがエロスの要素が薄まっている分金銭欲への執着が如実に伝わってくる。
因果応報。そういってしまえば元も子もないのだけれど、元子には成功してほしかったなあと情を寄せてしまう自分がいる。

けものみち

数年前(でもないのか)米倉涼子主演でドラマ化されていた原作。
ドラマは未見。
原作のまま映像化したら(性描写のシーン)放送できんでしょう。。
米倉涼子はグラマラスなスタイルの持ち主だけど、こちらの原作はどちらかといえばスレンダーなスタイル(だと書いていたような覚えが)と描かれているため、脳内での民子が米倉涼子に置き換えできなかった。

現状に不満を抱える女性が一攫千金を夢見て百戦錬磨の男性社会に挑んでいくドラマ。
平成や令和の時代にこの謳い文句は珍しくもないけれど、舞台は既に遠きになりにけりの「昭和」
この小説を読みながら同じように閉塞された世界から抜け出そうとした水商売の女性もきっといたんじゃないかと想像する。
(別に水商売じゃなくてもいいんだけど)
民子には悲劇的な結末が待っているのだけれど、現代に場面を設定しなおして成功者とするストーリーもありだよなあと思う。

この原作を読んで、女性の地位は随分と改善されているんだよなあと思った次第。

2019年5月27日月曜日

戦国自衛隊

中学生くらいのころ、千葉真一主演で映画化された作品。
のちに大ファンになる薬師丸ひろ子が少年兵の役で出演している(らしい)
らしいと書くから、映画は未鑑賞。

私が手に取ったにはこのカバーだけれど、いろんなバリエーションがあり、映画も数年前戦国自衛隊1549とアレンジされたものも公開されていたので、人気が高い作品なんだろうと思える。

設定が独創的。
いや、誰でも「IF」くらいのことは夢想する物語だけど。
夢想をきちんと整理して、戦国に行けば「こうなるだろう」ではなく「こうならざるをえない」と仮定を限りなく現実的に書いていることに舌を巻いた。
「時の人」が「土岐のひと」と置き換わっていく歴史の知識が豊かでないと書けない空想がたくさんあって、「お!なるほど!」と知的好奇心が満たされながら読み進めた。

上記に書いた映画がCMやテレビで放送されたのをチラ見した断片的な映像や記憶から
「武闘派が戦国時代にタイムワープして、憲法で禁じられている武器の専横的使用を積極的に試す(駆使)する」というバイオレンス的な物語とばかり思っていた。

半村良、偉大なり!


ロクヨン(上・下)

2019年、悪事の顔になってしまったピエール瀧が主演したNHKのドラマを先に観て、この本を手にした。


映画のほうは未鑑賞。
原作を読み終えた今、主演は映画の佐藤浩市よりもピエール瀧のほうだな、と。
若手俳優、とにかくイケメンばかりがもてはやされる風潮だけど、味のある顔の持ち主をもっと発掘していかないと、このような原作を映像化していくときに苦労するよ。

成人を迎え、もはや思春期を超えていこうとするふたりの娘の父親でもある身としては、この事件の無残さにゾッとする。
思えば昭和64年のころといえば連続幼女誘拐殺人事件、それから女子高生コンクリート詰め殺人事件。
前者はオタクに走る人間は皆殺人予備群みたいな風潮になった。
後者は不良少年少女には一定のモラルがあるという都合のいい解釈が木っ端みじんに砕かれた。
そのほかにも凄惨な事件が昭和末期にはたくさん発生した。
脱線したが、ロクヨンの事件のモデルは北関東地域での未解決事件をモチーフにしているんだろうなあと感じる。

誘拐事件が未解決なばかりに、主人公の苦悩は深くなる。
NHKドラマのときは突拍子もないように映っていた主人公の娘の失踪の物語が原作で補えた。
未解決事件と娘の失踪の2つの事件を縦軸に。
警察組織の歪みやら政治やら軋轢と報道機関との交渉を横軸に。
そうして読み進めれば、すっきりと読めるんだろうなあ。

わたし、再読を基本スタンスにしているのだがこのロクヨンは疲れた。
冒頭の事情(二児の父)云々は抜いて、
1)文章がとても硬いこと。
2)警察組織の理解が一定程度必要。
その2つに起因するかな。
サラリーマンとしては自分が報酬を得ることがない組織のことを理解したいとは思わないものんだなあ。
もっと言えば、自分自身が関心が薄い組織のことを知りたいとは思わないのね。
歴史小説なら無関係でも興味が高くなる組織のことは調べていくんだし。
新選組とかよく勉強したなあ。笑

阿部一族・舞姫

40歳も超えててくると、高校生のころに教科書で「読まされた」書籍を読みたくなる作品がある。
森鴎外の高瀬舟は高校生3年生のころ、大学受験を前にして習った。
何を目的に習ったなだろう、文法なのか漢字なのか?
さっぱり思い出せないけれど、受験を目の前にして治癒する見込みがなく死にたいと願うひとに手をかけることは罪なのか?
ものすごく衝撃を受けた。
ある意味受験なんかよりこの主題のほうが大事なんじゃないのか?と思ったことを懐かしく思い出す。
古書店で森鴎外の名を見つけて、高瀬舟こそなかったけれど、この書籍を手にした。
舞姫はずっと以前本木雅弘主演で映画化されていたような?
明治、日本が欧州に追いつき追い越せと切磋琢磨している時代。その鼻息と個人の恋愛の板挟みに苦悩し、選択する主人公(鴎外自身なんだろうな)の心境が痛ましく感じた。

阿部一族は一読目ではチンプンカンプンで再読してようやく理解できた。
江戸時代(とひとくくりにしてはいけない)、特に武力統治から政治統治へ舵を切った家光時代の悲劇。
平成から令和へ時代が移ろい、仕事で交わされる言葉
自分が入力、計算、処理したファイルを目の前に「〇〇って感じじゃないですかー」と発してしまうわたしや周囲。
阿部一族の武士から「お主がなしたことではないか!」と叱咤されそう。(激励なんて絶対されない)
そういう気概が日本人の美徳、美点なんだと思う。
グローバリゼーションのなかにいてもそんな気概は失っちゃいけない。

偉そうなこと書いたが、次こそは高瀬舟を買い求めねば!