2012年8月2日木曜日

新・平家物語 一門都落ちの巻


 巻名のとおり、一門が都落ちする。
維盛、忠度、経正らの都落ちには涙が溢れる。
中央を追われる人間の悲哀に私たち日本人は事のほか涙腺が脆くなってしまう。

入洛した義仲は統治する能力が欠落している。
こんなシンプルな人が、権謀術策の塊のような後白河法皇と相対しても釈迦の手のひらの上の孫悟空のようなものだ。
せっかく入洛したにも関わらず、鎌倉の頼朝、平家に義仲追討の令が発せられる。
義仲の物語は駆け引きが薄く、面白みに欠ける。
地域のいる間は輝いている人が中央に出ると全く面白みに欠けてしまうことがある。
政治だったり、スポーツだったり。それを人は二流と言うのだけれども、二流であることが悪いわけではない
人には向き、不向きがあるのだから、向いているほうに進路を取ればいい。
義仲は、木曾の冠者として君臨していれば良かったのだ。

『本文より』のコーナー

健礼門院に目を向けると彼女の境遇に唖然とする
父、兄、夫が6年で他界している女なのだ。

兄の重盛は逝き、父清盛は亡く、わけて彼女にとってまたなき夫君の高倉天皇も若うして崩御られた
あまりにも人の命の明滅ははかなすぎる
(9巻234頁)


私は詩が好きなんだろうと思う(ふっと自覚することもある)
詩の魅力とは行き着くところこれだ

歌には興亡もなく栄枯もない
(9巻274頁)

平家の「甘さ」でもあり「思いやり」でもある
こういう側面に平家に哀れみを憶えてきたんだし、これからも憶えていくんだろう。
これが日本の国民性でも繋がっているのかもしれない。

平家は在京中の東国武者を監禁した。当時斬るべしという世論もあったほどである。
しかし、平家はこれを斬らなかった。それのみか行状によって捕虜の扱いさえ解き自由の身として六波羅において来たものだった。
(9巻319頁)

後白河院、この人がこの時代に存在したことが混乱の根源なのかもしれない

世の転変に当たっては院のこういう無節操もまたやむを得ないものなのか。
(9巻349頁)

義仲、行家。両雄並び立たず。(二人が両雄と呼べるかどうかは別として)

木曾入洛のその日、初の院参に、もう光長といい、兼実といい義仲、行家の両者のあいだにどっちもおのれひとりが良い子になろうとする増上慢のきざしがあったといみじくも看破していたのである。
(9巻351頁)

追い詰められた義仲が色情に溺れていく姿、三国志の董卓や呂布もこういった傾向に陥る。
男の本能とて子孫を残そうとする。それが色情にうつつを抜かすというように見えるのだろう。
実際、この立場に置かれれば私だってそうなる可能性は高いように思える。

なぜかかれは享楽に性急だった
(10巻24頁)

おん母建礼門院
主上都落ち
古巣焼き
維盛都落ち
読み人知らず
「青山」別離
池殿引返し
歯がゆいお人
赤とんぼ
墓前管弦講
政変後白河記
義仲入洛
公卿座の眼
やどり木
万戸の戦き
肉縄
朝日将軍
冬姫
猫間の中納言
御鞭
二人の小天子
ただよう平家
宇佐祈願
水島合戦
慮囚の将
瞋恚の帳
質子消息
なぶられ孤児
御簾一重
冠放棄
雪泥
天魔の府
姫秘事


新・平家物語 くりからの巻



木曾義仲を中心にした物語となる。
平家から源氏へ政権が移る中間に存在した覇者の物語
彼が信濃から北陸を経て京に入って行くまで。
武辺の人でありすぎ、また無邪気な人であり、同時に無頓着な人でもある。
こういう無垢であり、同時に野蛮な人が、策士の行家とは協調していくことは難しい。

木曾義仲に対して、あまり好意的な感情が湧いてこない。
こういうタイプに人は私の周囲にもいる、体育会系の自己中心的な人。
そんな人とはどうしても肌が合わないので、読むペースも上がらない。

斎藤実盛の忠義が美しい。

『本文より』のコーナー

行家のことをバッサリと言い切る頼朝の書簡

いわゆる獅子身中の虫と申すべき軽薄な士で頼朝の迷惑もひとかたではない。
(9巻23頁)

そうなのである。
「そう」とは平家から戦を仕掛けたことはないということ。

もとより戦は平家の好むところではない。従来いつどこに起こった戦いでも平家方から手出しして起こした例は一度もないのである。
 (9巻28頁)

時忠の印象が随分と変わった。
只のヤンキー兄ちゃんが、幾つもの修羅場を乗り越えて大きな人物に変わっていくような印象

むかし鶏持ち小冠者と呼ばれた頃の不良少年魂が良く磨かれて元来のふてぶてしさに、学問と気品を加えたものが今日の時忠であった。
(9巻42頁)

頼朝と義仲の人物比較
確かにズケズケ文句を言われても、それが尾を引かないように聞こえる人がいる。
この点に関しては、義仲に対して好意を感じる

義仲に比べるとおなじ甥でも鎌倉の頼朝ははるかに行家に対して慇懃だし、扱いも応対も物柔らかで丁重である。
だが時によるとその頼朝の温言にはむっと腹が立ってくる。そして意趣遺恨の根にもなるのだった。
ところが義仲の場合は今のような毒舌にかけられてもなんとなく腹は立たない。
(9巻134頁)

【収録】
揺れ山吹
質子
御車返し
龍爪
仙童
虹に染まる手
耳遠き武者
燧合戦
にらみあい
美しき奴隷
倶利伽羅迷路
火牛
半弓禍
将軍と長き黒髪
軍婢
若やぎの壺
安宅・篠原
実盛最期
入洛布石
閨房陣
堂上堂下
痴夫と剛妻
かれの国造り
前夜相


2012年7月27日金曜日

新・平家物語 三界の巻

平清盛の存在は歴史で学んだ際に受けた印象よりもずっと遥かに巨大であったのだろうということがこの巻でよく分かった。
清盛の死因、この小説では「瘧」現代で言えばマラリアによるものだとしている。
マラリアでは即死亡することは極めて低い可能性なので、幾度も清盛が寝込んだことも多かったのだろう。
寝込む都度「平家もこれまで」と、後白河院、公卿、山門、そして東国の源氏も蠢動を繰り返していたのではなかろうか。
露見してしまったのがたまたま鹿ケ谷の陰謀であり、以仁王の叛乱だけで、議案に乗るだけ乗って実現しなかった企てはもっとあるんだろう。
灰になってしまったから歴史の舞台には登場しない企て。
どんな人がどんな企てをしたのか?そういった下郎なことに清盛は関わっている時間もなかったのだろうが、そういった存在を根底から潰そうとして、日宋貿易、福原遷都だったのだろうに、と清盛に同情したくなる。

以仁王の叛乱から始まった打倒平家のムーヴメントに木曾義仲が名乗りを上げる。
およそ都とは大きく異なる風土の木曾で。
女も戦闘に加わり、獣を食す。
鎌倉とは一旦質子を出して和睦し、木曾は北陸を経て都へ向かう。



『本文より』のコーナー
義仲と葵の愛の深さを描いた文章。
とても美しい。
長いけれど、紹介しておきたい。
戦中は男女の愛がとことんプラトニックなのものが礼賛され、ともすれば恥ずかしいことと決めつけられていた時代の延長線にあった時代。
ともすればフィジカルな愛を否定していた時代であることを考えると、この文はとても刺激的なものにとして印象付けられたのではないか。

戦の日の葵は義仲の戦友であった。そういってもおかしくない。
戦友でありまた恋人でもあったのだ。
戦は死を賭すもの。恋も死を賭すほどなものである。
ふたりの愛の燃焼が世の常の契りでなかったのは当然であろう。あらゆる辛酸をともにし、生死も一つとちかい、あす知れぬ戦場のちまたを手に手をたずさえてゆく青春の男女がいかに強度な愛情を醸し出すか血の出るようなくちづけを味わうことか、他人のうかがいうる境地ではない。
(8巻171頁)

葵について
体育万能の別嬪な女という印象
2012年の今旬な女性で言えば女子サッカーの川澄選手あたりかな

義仲の性格について
野蛮なタイプの人でありながら皆に愛されるタイプって周囲に一人ぐらいはいるよねぇ。
他界されているけれど勝新太郎あたりがイメージしやすいかも。

この人の性としてじつに憎態にものをいう。
またよく傍若無人にあたりをあざ笑う。
けれど笑うにはいつも大口を開いて笑い、きゃっきゃっといって膝をたたいて笑うのだ。
天性美貌な人なのでそれが無邪気にも見え、天真爛漫といった美しさにすら見えることもある。
(8巻180頁)

.....それにしても源氏よー、とでも言いたくなる文章。

父たる義朝の代においてすでにもう源氏党では骨肉喧嘩の血みどろをやり合っていた。
(8巻189頁)

若い公卿らが、平家ばかりが栄えている現状に不満を持っている。
この事態の経緯は平家が強奪したのではなく、旧政権の腐敗にも遠因があるのだと言う。
現在でも若者らが不平不満を言うけれど、それは「大人が悪い」と決めつけるのはいかがなものだろうか?

かれらの年齢では貴族末期の腐えた世代と、その後の世代との比較が持てなかった。
社会が見渡せた時は既に平家全盛の時代だったから世に思う不平はすべて平家の悪さに見えていたのは是非もない。
(8巻289頁)

清盛の葬儀はひっそりと行われた。
後の信長同様、(出家こそしているが)清盛も無神論者
葬儀は盛大に行われることに越したことはないのだが、偉大なる為政者にとっては死んだ後のことなんてどうでもいいんだろうなぁ。
栄耀を一世に極むといわれた人にしては余りにもうら淋しいばかりな葬日だった。
(8巻341頁)

繰り返し繰り返し文体を変えては書かれる内容。
この時代の家族のことを考えていたけれど、作者吉川英治は企業活動でも一致団結する平家タイプの企業が日本的な望ましいと考えていたのかもしれない
平家は一門ことごとく一心同体の平家だが、源氏は一蓮托生の仲ではない。
(8巻374頁)

【収録】
葵と義仲
君見ずや
大地の乳
大夫坊牛鞋録
岩茸と運は危ない所にある
権守返上
巴と葵
木曾殿稼ぎ 異聞頻々
「玉葉」筆者
右京大夫がよい
入道発病
二位どの看護
医師詮議
火の病
無事是貴人
麻鳥拝診
白眼子
往生三界図
三界図その二
征野管弦回向
叔父御と甥御
墨俣渡し
渦の中
山岳遁走
踊りの輪
朝めし前
露団々
聞こゆる木曾を眼に見ばや
謎めく卿
弁財天喧嘩
内訌

アメイジング・スパイダーマン

原題「THE AMAZING SPIDER-MAN」

前3部作は映画館では未鑑賞、テレビでチラチラと鑑賞したことがある程度。
幼い頃(小学3年くらいかな)戦隊もの(ゴレンジャーとか)のつなぎとしてスパイダーマンが放映されていた。
大人のおじさん(とはいえ20代の若者の設定なんだろうが、小学3年にしてみれば20代はおじさんダ)の勧善懲悪もの。
そのスパイダーマンがプロトタイプの私にとって前作のスパイダーマンが普段は弱々しい草食男子という設定に馴染めなかったことも相まって、印象が薄い。
敵役のウイレム・デフォーに「えぇ!もうちょっとシリアスな映画に出たほうがいいんでないのー?」と思ったことぐらい。

今シリーズを観に行こうと思ったのは、
①スパイダーマンのスーツの質感がかっこいい
②予告編で観たスパイダーマン自身の目線でNYのビルや街を跳躍する
③主演の男の子の表情がイイ感じ
上記3ポイントに加えて、連れが「3Dで観てよかった」ということば。

さて、連れは「3Dだけ(楽しめばいい)、ストーリーはどうでもいいのよ」との談。
だが、私はいろいろと感じたのだ、別に感動というような大層なものではなく。

懐かしい学園ものとしての要素
舞台設定は(前作同様)高校。
遥か25年前に感じたトキメキを僅かに思い出す。
主人公と想われ人がめでたくキスをするシーンがあるのだが、初キスした事実ではなく、高校生の頃に大好きだった片思いの彼女とキスをすることになっていれば、こんな感じでキスしたいなぁ、と。

そして次に。ヒーローものとしての要素
高校生よりも遥かに時を遡り「仮面ライダー」に憧れていた幼児の頃の気持ちを思い出した。
男の子であれば、誰しも変身願望がある。
この作品の上映前には「アベンジャーズ」の予告も相乗効果(笑)
観ながら、変身願望が高まってしょうがなかった。
ウルトラマンではなく、仮面ライダーに憧れる理由が分かった。
それは「等身大」であるということだ。
「アベンジャーズ」でも惹かれるのは「アイアンマン」、巨大になる「ハルク」には魅力を感じない。
そこにリアルさを感じられるかどうか?その尺度が等身大なんだなぁ
ヒーローものですらリアリストな側面があるということか、クソッ!!(苦笑)

鑑賞動機でもあったのだが、主演のアンドリュー・ガーフィールドの表情が予想以上に良かった。
この人も「ソーシャルネットワーク」が出世作の人とのこと。今更ながら鑑賞に赴けなかったことが悔やまれる。
......それにしても、この人の表情はいい。
スパイダーマンでありながら、マスクをしている時間よりも外している時間のほうが長かったように思えるのだが、それは彼の表情を監督が求めたからなんだろうなぁ

ガールフレンドのグエインを演じた女の子(エマ・ストーン)も目元パッチリで好みのタイプだ。
ジョディ・フォスターに似ているかな。
現在23歳、うーん、淫行罪には問われないナ、よし(喜)

この作品の前に鑑賞した「崖っぷちの男」ではエド・ハリスが老けてしまっていたが、今作ではサリーフィールドもおばあちゃんになってしまってた。
可愛い甥っ子(ピーター)の秘密に気づきながら見守るしかない叔母さん役。
叔母さんと呼ぶには....もうちょい若づくりしたらいいのに。


2012年7月22日日曜日

新・平家物語 かまくら殿の巻

 新宮行家が令旨を無節操と言っていいほどに東国の源氏に撒いたことで、各地の源氏に波紋が起こる。
最たるものが頼朝であるものの、石橋山で敗北した報を聞くと次は木曾義仲へ頼る。
関東地方を地盤にする源氏は次第に頼朝を棟梁と仰ぎ、義朝らが地盤を固めていた鎌倉を本拠地にに定め、勢力を増強していく。
対する平家、清盛の老化は進み彼を継ぐべき跡継ぎが見当たらない。
老化が進んだ清盛にとって敵は源氏ばかりではない、山門も危険な存在であり、それに繋がる院にも目配りをしなければならない。
四面楚歌状態の清盛にとって、関東や木曾の勢力よりも比叡山や奈良の山門こそが平家を危うくする存在だと認識していたのではなかろうか。
そういった考えの清盛にしてみれば富士川の戦いでの敗北は身内の情けなさに憤慨しまくっただろうし、同時にガクッと来たことだろう。
自分がしっかりしなければならないという責任感を負うには清盛の肉体は耐え切れなかった。
引退した社長が経営再建に再び就任してもあまりうまくいくことは少ないように、平家は次第に弱体化していく。

『本文より』のコーナー
斎藤実盛、という老武将
この人は先に義朝に仕え、この時点では宗盛に仕えている。
この時代の忠義は後世の忠義とは異なり、その時点で仕えている棟梁にこそ仕えることこそが誠の忠義だとする。

おたがいの立場と考え方は自由であった。充分理解しあえる仲の友であった。
(7巻409頁)

頼朝は偉大である、王者とはこうでなければ精神がもたないのかもしれない。
いや、或いはこの時代はまだ根絶やしにするということが定着していなかったのかもしれない。
「家」を根絶やしにする、という発想は「織田信長」からなのかもしれない。

頼朝の真意はたれにも分からなかった。人々はただこの主君の反面に奇異な一性格を見出しただけである
(7巻441頁)


義経悲劇の前哨戦

下部と下部との感情はまた違う。鎌倉殿の直臣たちは九郎殿山の家人というと陪臣か外者のように差別した。
(8巻61頁)

源氏は平家から政権を奪っても僅か三代で滅びる、その主因は詰まるところこの言葉に要約される
これは佐竹を滅ぼした頼朝に向かって佐竹の家臣が吐露する言葉
「主家の滅亡を悲しむのは多年その家に仕えた人間の自然の情です、別にみっともないとは想いません。それよりも元を正せば佐竹一族も源氏です。なぜこんな同族の合戦に訴えないで和の道をおとりくださらなかったのか」

頼朝の性格

必要に応じては時に人命を断つことさえなんともしない風がある。峻烈かと思えば優しく、冷酷と思えば温かそうでもあり
(8巻67頁)

吉次の存在意義は武器商人

この戦争を能うかぎり大きくさせ、また長引かせるにある
(8巻77頁)

清盛の敵は何も武力をもった勢力とは限らない。
武力もなく、思想もない民衆の怨嗟も反平家の勢力になるには充分であった、ということ。

都心を追われた浮浪や餓民は蝗のように農家の貯穀を食い荒らしてゆき、あらゆる悪事と悪風をまいて歩いた。

いつの世も、同じことの繰り返し。今日もきっとどこかの会社で、学校で、官庁で武闘派と文官がもめているだろうし。

しょせん文官と武官とは一朝一夕には解け合えませぬ
(8巻123頁)

偶然は偶然ではなく、必然だというときがある。文章が綺麗

人為のほかな人為がある。何か眼に見えないものがこの世を動かしているのではないか。そう疑われもするような偶然や不可思議な作用がこの世にはある。
(8巻138頁)

意思とは別の次元で決めることがある。世間で言うところの「神の声」これも文章が綺麗

自分以外のものが自分をしてこうさせたのだと思う。日頃の小心な自分では決断しえないことである。
自分に代わって何ものかの力が二人(重衡と通盛)を呼び寄せたものだろう。
(8巻144頁)


【収録】
中立圏
日和見くずれ
北上
広常参陣
野彦
月見る人びと
怪異譚
征鈴
斎藤別当実盛
風流陣
御台所返り
けだもの処分
水鳥記
維盛不戦顛末
ちぢに思いを
黄瀬川対面
かまくら日誌
九郎殿衆
創府手斧屑集
死の商隊
露衣風心
夢野の夢
龍虎相泣く
浮巣の都
髷切り事件
馬と鹿
灼身大仏・嘲人間愚
耳に飼う蝉
春なきおん国母





2012年7月21日土曜日

崖っぷちの男


原題「MAN ON A LEDGE」

素晴らしく面白いわけではない。クソっとつぶやくほどつまらないわけでもない。
サム・ワーシントン、アバターでの成功がアダになっているのかなぁ、スターと呼ぶには風格が滲み出てこない。
序盤は特に眠たい展開が続いたし、実のところ10~15分は眠っていた。
だが眠っていてもノープロブレムだったかもしれん
と、いうのも。
人物像の掘り下げ方が甘い。
誰も彼もが中途半端だと感じる(←「寝てたお前が言うな」って声を無視)
ニックが自殺するわけじゃないことはすぐに分かるんだから、「じゃぁ、今からどんなことが起きるのだろう」スリリングな場面を設ければ、かなり面白くすることができる。
スリルは別にニックに限定せずとも、女性交渉人が失敗してしまった過去の事件でもいいし、エド・ハリス扮する悪徳実業家の周囲で何か一つ彼が悪徳ぶりを遺憾なく発揮するような事柄とか。
スリルが欠落しているから眠たさを増長している。
本当に序盤に一つの山場をドン!と打ち上げていれば、印象はもっと上昇可能。

中盤に入る頃になり、弟と恋人が向かいのビルでやろうとすることは理解できるけど、そのスキルが不明
恋人の色気は男性客にはありがたいサービス。
彼女のショッキングピンクなランジェリー姿がGOOD!!
でもね。
それよりも盗みのテクニックとか美学のシーンが欲しかった
ルパン三世でも峰不二子の色気は、ルパンたちの美学があればこそ映えるのだから。

女性交渉人、ニックとの交渉を深めていくことで彼女の中に芽生える感状やシンパシーが盛り込まれていない
この映画のもうひとりの主人公だからこの事件を経て彼女の成長や心の回復に触れられていないのも寂しい

序盤に眠ってしまっても、後半にニックたちが追いかけている目的の「もの」がないことが分かってからの展開の頃にようやく目が覚めてもいいかもしれない。

ドキュメンタリーを舞台としてきた監督さんだという。
そんなキャリアの持ち主なだけに群衆の動きが変化していく姿がうまく表現できてないと監督自身も不本意なんじゃないかな
女性レポーターもしかり、最後にニックに手助けをする群衆の一人もしかり。
ニックが群集の集団心理を操作していく過程が表現できれば、と残念に感じる。

エド・ハリスが老けてしまっていた。
もともと皺の深い人ではあるのだけれど、登場したときに「あ、おじいちゃんになってしまった」と感じた。
ね、製作会社の皆さん!!もうちょっと過激な役どころ演じさせて若返らせなきゃ!!






2012年7月18日水曜日

荒地の何処かで

「Wasteland」
初出は「COYOTE」

佐野元春を語るうえでは欠かせない単語が幾つも登場してくる
「荒地」「何処か」「口ずさむ」「君」「月」

「2012初夏のツアー」でこの曲をPLAYしてくれた。
COYOTEツアーのときは原曲に忠実にPLAYしていたけれど、今回は少しアレンジが加わった。
キーボードの渡辺俊介クンの伴奏が心地よかった。
その伴奏時に俊介クンの隣でノッている元春クンがかっこよくて、あぶなっかしくて、素敵だ。
そう、このときの元春は56歳ではなく、まるで少年のよう。
だから「クン」づけで呼びたくなる。
もう一ひねり加えてくれたら、LIVEで栄える曲に仕上がっていくような予感がしている。

感激のLIVEから3週間を経ようとしても尚、あのキーボードのフレーズが脳内で再生されているので書き留めておく。