原題「Les Misérables」
ミュージカル映画を銀幕で鑑賞するのは初めて。
「ああ、無情」の原作は未読で、ジャン・バルジャンがパンを盗んで投獄される くらいしか知らない輩でありながら鑑賞に赴いたのは「ああ、無謀」(笑)
2012年最後に観た映画なのだが、主要な登場人物は奇しくも2012年の鑑賞作品に登場しており、感慨深い。
以下記しておく
名前(作品)
ヒュー・ジャックマン(Real Steel)
アン・ハサウエイ(Dark Nnight Rises)
アマンダ・サイフリッド(In Time)
エディ・レッドメイン(My Weeks With Marilyn)
ヘレナ・ボナム=カーター(Dark Shadows)
2012年ではないけど。
ラッセル・クロウ(Robin Hood)
先にも書いたけれど、ミュージカル映画を鑑賞するのは初めてのこと。
VTRやDVDでも鑑賞した作品は僅かだと思うし、パッと出てくるのがマドンナが演じた「エヴィータ」くらい。
原作の予備知識もなく、ミュージカルの体験もない者がこの作品を観ると、少々気恥ずかしいところがあるし、150分強の時間を集中力を維持したまま鑑賞することは難しかった。
後半一時間は、心のどこかでそろそろフィナーレに向かってくれんかなぁ、という感情はあったので。
感激したのは
①フォンテーヌ(アン・ハサウエイ)が歌う「夢やぶれて」
②エポニール・コゼット・マリウスの三重奏。
原作を読んでいつか観返したいと感じている。
2013年1月4日金曜日
2013年1月3日木曜日
007 スカイフォール
原題「SKYFALL」
主題歌は今をときめく歌姫「ADELE」
彼女の歌声をスクリーンで聴きたいというのが一つの鑑賞動機。
米国の歌姫が(異論反論はあるにせよ)「レディ・ガガ」に比して、ADELEの歌声のほうが好み。
落ち着いた歌声に傾斜していっているのかなぁ、なんて自己分析もある。
「007」を映画館で鑑賞したことは少なく、実はこれが3回目。
初体験が中学一年の頃、塾の先生に連れて行かれた「YOUR EYES ONLY」
英語を勉強し始めて半年を経過していた頃。
中一で受験することが無謀と笑われた英検三級を受験前にナマの英語を見聞することを目的(今になって思えば先生が単に観たかっただけなんだろうが)として鑑賞しに行って、劇画の内容は全く覚えておらず、とにかく本当にただの一つも単語を聴きとれず落ち込んだ思い出のみ。
次に鑑賞したのが、この前作「慰めの報酬」
これは前々作の「カジノロワイヤル」の続編であるにも関わらず、勢いで鑑賞したはいいがカジノロワイヤルの内容を全く予習もせずに観たものだから、全くわけが分からないままアクションシーンだけには感激しただけ、というお粗末な鑑賞。
で、ようやく3本目で納得できる鑑賞ができた。
本編スタートから始まるアクションの連続には、「うわっ」「どひゃっ」と小声で叫びながら。
ボンドガールの色っぽさには「あひゃん」と小声で喜びながら。
ハビエル・バルデムの悪役ぶりが素晴らしい。
「M」のジュディ・デンチの後ろ姿を観ると、「さすがに年老いたなー」と感じてしまった。
今作で卒業するのも、引き際として英断だと思う。
「Q」がおじいちゃんでなく、ITオタクの草食男子。とはいえこの俳優(ベン・ウィショー)は今後更に伸びていくような予感がしている。
そしてジェームス・ボンドことダニエル・クレイグ
この人の顔立ちを観て今までロシア系・東欧系だとばかり思っていたのだが、れっきとした英国紳士なのに驚いた。
これまでの007のイメージを制作側が払拭しようとしての登用かと思いきや、出自にはそのイメチェンを求めていなかったんだと気づいた次第。
ロジャー・ムーアがインプリンティングされている私からすれば、ダニエル版のボンドはオシャレ度が薄く、泥臭いイメージが強かった。
でもようやく、これはこれで「あり」かなぁ、と。
孤高の人、ジェームス・ボンド、そして苦悩するボンド
上海、香港やスコットランドの風景も美しかった。
今でこそ、海外旅行は目新しいものではなく、日常茶飯事のように海外旅行している人もいるし、テレビでも海外の至るところのスポットが紹介されているけれど、映画館で観る海外は5割増しで美しく見える。
次作で007の周囲を固める人も刷新されるのだろう。
ダニエル版4作目、大きく期待して鑑賞に赴きたいと思っている。
主題歌は今をときめく歌姫「ADELE」
彼女の歌声をスクリーンで聴きたいというのが一つの鑑賞動機。
米国の歌姫が(異論反論はあるにせよ)「レディ・ガガ」に比して、ADELEの歌声のほうが好み。
落ち着いた歌声に傾斜していっているのかなぁ、なんて自己分析もある。
「007」を映画館で鑑賞したことは少なく、実はこれが3回目。
初体験が中学一年の頃、塾の先生に連れて行かれた「YOUR EYES ONLY」
英語を勉強し始めて半年を経過していた頃。
中一で受験することが無謀と笑われた英検三級を受験前にナマの英語を見聞することを目的(今になって思えば先生が単に観たかっただけなんだろうが)として鑑賞しに行って、劇画の内容は全く覚えておらず、とにかく本当にただの一つも単語を聴きとれず落ち込んだ思い出のみ。
次に鑑賞したのが、この前作「慰めの報酬」
これは前々作の「カジノロワイヤル」の続編であるにも関わらず、勢いで鑑賞したはいいがカジノロワイヤルの内容を全く予習もせずに観たものだから、全くわけが分からないままアクションシーンだけには感激しただけ、というお粗末な鑑賞。
で、ようやく3本目で納得できる鑑賞ができた。
本編スタートから始まるアクションの連続には、「うわっ」「どひゃっ」と小声で叫びながら。
ボンドガールの色っぽさには「あひゃん」と小声で喜びながら。
ハビエル・バルデムの悪役ぶりが素晴らしい。
「M」のジュディ・デンチの後ろ姿を観ると、「さすがに年老いたなー」と感じてしまった。
今作で卒業するのも、引き際として英断だと思う。
「Q」がおじいちゃんでなく、ITオタクの草食男子。とはいえこの俳優(ベン・ウィショー)は今後更に伸びていくような予感がしている。
そしてジェームス・ボンドことダニエル・クレイグ
この人の顔立ちを観て今までロシア系・東欧系だとばかり思っていたのだが、れっきとした英国紳士なのに驚いた。
これまでの007のイメージを制作側が払拭しようとしての登用かと思いきや、出自にはそのイメチェンを求めていなかったんだと気づいた次第。
ロジャー・ムーアがインプリンティングされている私からすれば、ダニエル版のボンドはオシャレ度が薄く、泥臭いイメージが強かった。
でもようやく、これはこれで「あり」かなぁ、と。
孤高の人、ジェームス・ボンド、そして苦悩するボンド
上海、香港やスコットランドの風景も美しかった。
今でこそ、海外旅行は目新しいものではなく、日常茶飯事のように海外旅行している人もいるし、テレビでも海外の至るところのスポットが紹介されているけれど、映画館で観る海外は5割増しで美しく見える。
次作で007の周囲を固める人も刷新されるのだろう。
ダニエル版4作目、大きく期待して鑑賞に赴きたいと思っている。
エクスペンダブルズ2
原題「The Expendables 2」
前作は未鑑賞
興味は高かったのだけれど、縁が薄く上映期間が終わってしまった作品。
今回の「2」も縁が薄くなりかけて、上映最終日の最終回に滑り込んで鑑賞した次第。
80年代から90年代にかけての肉体派ヒーローが集結し、おバカな映画を製作し作り上げているのが素晴らしい。
中でもジャンクロードヴァンダムの回し蹴りに、(彼は悪役だったのだけれども)拍手喝采。
主演のシルベスタースタローンの大根役者ぶりに脱帽。
スタローンの大根ぶりってのは、酷評ではなく、もはや礼賛の意味合いで。
ロッキー4で対決していたドルフラングレンがスタローンの味方というだけで十分に楽しい。
全盛期はライバル関係だったアーノルドシュワルツェネッガーも少し格落ちした位置づけで銀幕復帰というのも楽しい。
そのほかも肉体派俳優のオンパレードで、アツくなれる。
牛丼と豚丼と鶏丼が合わさったような作品だと言ったら、面白い表現だと、お褒めのメッセージを頂戴した。
肉食男子(老人?)ばかりなんだから、この比喩は直接的で安易なんだけれどね。
ただ、ストーリーはどうだったのか全く覚えていません。
というか、そんなストーリー展開なんてこの手合の作品に誰も求めていないんでしょうけれどね。
前作は未鑑賞
興味は高かったのだけれど、縁が薄く上映期間が終わってしまった作品。
今回の「2」も縁が薄くなりかけて、上映最終日の最終回に滑り込んで鑑賞した次第。
80年代から90年代にかけての肉体派ヒーローが集結し、おバカな映画を製作し作り上げているのが素晴らしい。
中でもジャンクロードヴァンダムの回し蹴りに、(彼は悪役だったのだけれども)拍手喝采。
主演のシルベスタースタローンの大根役者ぶりに脱帽。
スタローンの大根ぶりってのは、酷評ではなく、もはや礼賛の意味合いで。
ロッキー4で対決していたドルフラングレンがスタローンの味方というだけで十分に楽しい。
全盛期はライバル関係だったアーノルドシュワルツェネッガーも少し格落ちした位置づけで銀幕復帰というのも楽しい。
そのほかも肉体派俳優のオンパレードで、アツくなれる。
牛丼と豚丼と鶏丼が合わさったような作品だと言ったら、面白い表現だと、お褒めのメッセージを頂戴した。
肉食男子(老人?)ばかりなんだから、この比喩は直接的で安易なんだけれどね。
ただ、ストーリーはどうだったのか全く覚えていません。
というか、そんなストーリー展開なんてこの手合の作品に誰も求めていないんでしょうけれどね。
五辦の椿
新・平家物語に読み疲れたとき、及び読み飽きてきたとき(13巻くらい)に本棚を眺めたときに目についた小説。
「法では裁けない掟」がこの小説のテーマ。
2008年に初めて読んだ。
大きく衝撃を受けた。
それは、山本周五郎の作品を数冊読み、「周五郎=人生訓の語り手」にカテゴライズした頭脳を混沌とさせられたから。
それ以来の再読だ。
この小説を手に取った背景がもう一つある。
それは2012年10月中旬くらいにNHKにて再放送されていていたこと。
残念ながら、全5回のうちの4回目ぐらいが放映されていたものをたまたま見つけたに過ぎず、全放映を鑑賞しているわけではない。
放映中に観た顔は竹中直人と国仲涼子、そして阿部寛ら。
竹中直人が演じる絵師の存在がどうしても思い出せず(このエントリを起こすにあたりWikipediaで調べたらドラマだけのオリジナル人物とのことでホッとした次第)気になっていた、ということもあった。
読んでいくと、読者の期待(こうなるだろうという期待)を悉く裏切る展開に舌を巻く。
殺さないだろうという期待に反して殺す
殺すだろうという期待に反して殺さない。
そういった類の展開ばかりで、読み進める頁がもどかしく感じる。
「まさか、まさか」
「あれあれ、あれれ」
「嗚呼、嗚呼」
そんな言葉を口ずさんみながら読んでいく人も多いだろう。
主人公が手をかける被害者(母親、そして怠惰な男ども)のような存在は私の身の回りには存在しておらず、そのような人間が存在していることをニュースで知る程度。
そんな環境に生まれ、生きていることに感謝したい。
おぞましい事件でありながらも、主人公「おしの」の純粋さが血清成分となり、おぞましさを打ち消す。
主人公の自栽により物語は終結してしまうのが残念。
とはいえ、過去に自分が抱いた感想(下記)がなかなかGOODだ。
「山本周五郎は敢えてこの主人公に自栽させ、読み手が青木与力であれば彼女をどう裁くのか?」
を考えさせたいからなのではないか。
うん、確かに。
「法では裁けない掟」がこの小説のテーマ。
2008年に初めて読んだ。
大きく衝撃を受けた。
それは、山本周五郎の作品を数冊読み、「周五郎=人生訓の語り手」にカテゴライズした頭脳を混沌とさせられたから。
それ以来の再読だ。
この小説を手に取った背景がもう一つある。
それは2012年10月中旬くらいにNHKにて再放送されていていたこと。
残念ながら、全5回のうちの4回目ぐらいが放映されていたものをたまたま見つけたに過ぎず、全放映を鑑賞しているわけではない。
放映中に観た顔は竹中直人と国仲涼子、そして阿部寛ら。
竹中直人が演じる絵師の存在がどうしても思い出せず(このエントリを起こすにあたりWikipediaで調べたらドラマだけのオリジナル人物とのことでホッとした次第)気になっていた、ということもあった。
読んでいくと、読者の期待(こうなるだろうという期待)を悉く裏切る展開に舌を巻く。
殺さないだろうという期待に反して殺す
殺すだろうという期待に反して殺さない。
そういった類の展開ばかりで、読み進める頁がもどかしく感じる。
「まさか、まさか」
「あれあれ、あれれ」
「嗚呼、嗚呼」
そんな言葉を口ずさんみながら読んでいく人も多いだろう。
主人公が手をかける被害者(母親、そして怠惰な男ども)のような存在は私の身の回りには存在しておらず、そのような人間が存在していることをニュースで知る程度。
そんな環境に生まれ、生きていることに感謝したい。
おぞましい事件でありながらも、主人公「おしの」の純粋さが血清成分となり、おぞましさを打ち消す。
主人公の自栽により物語は終結してしまうのが残念。
とはいえ、過去に自分が抱いた感想(下記)がなかなかGOODだ。
「山本周五郎は敢えてこの主人公に自栽させ、読み手が青木与力であれば彼女をどう裁くのか?」
を考えさせたいからなのではないか。
うん、確かに。
2012年12月29日土曜日
ヤング・フォーエバー
「Young Forever」初出はヴァラエティ番組で共作した「Freedom」のCW曲として。
とはいえ、私の場合は1997年のアルバム「The Barn」にて。
さほど脳内で再生されることが少ないこの曲が鳴った
珍しく「詩」ではなくGuitarの音が鳴りまくった。
アルバムでは「逃亡アルマジロのテーマ」が終わる
乾いたドラムの音が引導となり、イントロダクションのGuitarRiffが鳴り始める。
エンドの曲では「いつか僕が死ぬとき」というフレーズが飛び出した前作「Fruits」で死生観を表現して、「おやおや、元春ちょっと老けこんでいくの?」という考えがチラつかされてから2年後に発売されたアルバム。
その出だしのGuitarRiffにヤラれた。
詩は難解。
「君」とは誰なのだろうか?
君が指す対象はあるいは人間ではないのかもしれない、「魂」(SOUL)なんじゃないか?と考えたりしてみている。
佐野元春が佐野元春の魂に語りかけている曲なのかもしれない、とかも考えている。
普遍的に置き換えれば、ソングライターがソングライターたりえるその魂を礼賛しているんだろう。
隠喩、それが何を指しているのか解釈がいくらでもある。
「マグネシウムの街」
「アルミニウムの夢」
「枯れた野原」
今の私にとってそれらの言葉はピンと来るものが薄いため、脳内再生されることが少ない。
ああ、詩人にはまだ遠い。
この曲を聴いて、(心から)心若くありたいと願う。
詩だけでなく、Guitarの音で「心若くあれ!」というメッセージを発している曲
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「や」行の歌
2012年12月28日金曜日
新・平家物語 吉野雛の巻
最終巻「吉野雛」勧進帳のくだり、何度読んでも味わい深く。
義経が討たれて、完となるのかと思いきや。
那須大八郎のエピソードがいい。
表紙になっている麻鳥と蓬夫婦の睦まじい風景で大円団となるのもいい。
ははは、何を書いても「いい」としか感想が出てこない。
「本文よりのコーナー」
文覚上人の言葉より
権力は時に必要だと分かっているけれど、その施行する側になるときに戒めておかなければならない。
世に権力をなくすことは難しいが、権勢にまかせた権力悪をわしは憎む
(16巻190頁)
元雑兵の駄五六が鷲尾三郎に向かって言う言葉より
私自身、故郷を離れて四半世紀を経過したところで、昨年来Facebookにてコミュニケーションを取る相手は故郷の同級生ばかり。
そして私が食いついてしまうトピックスは故郷の懐かしいものが大半だ。
そういう私にとってこの言葉はグっと来る
いまにみろ、生まれ故郷の山河がどこよりなつかしいところになるから
(16巻348頁)
【収録】
雀仲間
馬糞大路
此君亭
逢状
飯室問答
湖岸の病家
船蔵春秋
母の弓矢
いまひとたびの
高雄の細道
金泥鬼
大つごもり
御室左右記
偽勧進
千鐘全土
二十九の春
談義しびれ
おかしげな男
二獣
あけはな石
冬眠の国
安宅ノ関
安宅ノ関・その二
野々市殿
勧進帳
皮剥ぎ追尾
能登の平家
桃源の日は短くて
仇し弓
義経最期
南海夜泊
範頼陥し
椎葉の山波
亡びなき人びと
傘の要らぬ日
勝者の府にも
頼朝の死
吉野雛
おおよそ半年を掛けて読み進めた。
前回よりも長く時間が掛かってしまったのは、一つには前回よりも労働している時間が長く、頭脳が本に向かなかったため。
二つ目には、途中寄り道をしながら読んだこと、平家物語に関する本を二冊ほど手に取り、「この話をこういう風に結びつけているんだ」ということを理解しながら、ということ。
お陰様で前回よりも平家物語を味わうことができた。
作家吉川英治の偉大さが改めてよく分かる。
原典で描かれていることでも、それが必ずしも事実であったとは限らない、ということを根拠を見せながら、反対の解釈を出し、新たな清盛像をあぶりだしたし、事象と事象を結びつけて新たな展開を描いている。
そして今から原典の平家物語へ。
吉川版から古典へ。
前回には考えが及ばなった知識欲。
新・平家物語 静の巻
ドラえもんに登場するヒロインの名前はしずかちゃん、彼女の苗字は「源」
そう、しずかちゃんは義経の愛妾「静」をもじった名前だ。
マンガに登場する名前の幾つかはこのようにして馴染み、原典に出会ってみて「やぁ、こんにちは」といった気分に浸れることがある。
...で、この静の存在を現代に置き換える存在というものがなかなか思い描きにくい。
芸能人という存在とは異なるし、仮に歌舞伎役者の女性版という存在があればそれが近いのかな、と思う。
市川染五郎とか市川海老蔵とかが駆け出しの頃って若く、男前、それでいて品がある。
そんな存在なのかなぁ…。
何にせよ、彼女の運命は過酷。
吉野山での愛する男性との別離、憎むべき相手は愛する男の兄、そしてその兄と兄嫁を目の前にしての舞い、愛する男性との間に出来た赤子を奪われ葬り去られる、実母の裏切り。
もうこれだけで昼ドラの素材には十二分過ぎるほどである。
歴史上、静かの末路は謎らしく、赤子を奪われたあとの彼女の足取りは記録にないとのこと。
この辺が女性を軽く扱っているという意見も多く寄せられるところだが、逆に言うと、彼女が義経の子を孕んでいたから捕えただけで、彼女自身にスパイ活動する必要がなかったということ。
自由を得られたことは静にとっては救いであったのだと願いたい。
素晴らしい詩、ここまで愛されれば幸せに尽きる。
ここまで愛される経験をした義経がこの詩を知っていたのだろうか。
「吉野山 峰の白雪 踏みわけて 入りにし人の あとぞ恋しき」
「しづやしづ 賤のおだまき くり返し むかしを今に なすよしもがな」
「本文よりのコーナー」
「最も続く愛は報われない愛である」という言葉があるけれど、それを文章にしたものかな?
艱苦を伴ってみない男女の仲は恋などと名づけてみてもまだ骨身に恋を味わったことでもなければ生命のうえに愛をおいて自分を捧げきったことでもなにのではなかろうか。
(15巻235頁)
麻鳥が静かを励ます言葉。
希望を抱かせる言葉、でもその実現は低いように聴こえてしまうのだけれど、でもこの文章は普遍的なものを感じさせる
どんな現実というものも実は間断なく変わっています、変わるなと願っても推移せずにおられませぬ。
人の境遇も、人おたがいの心も。
(15巻338頁)
ああ、義経って純情過ぎ、直情過ぎ。というか子供なんだよなぁ
後白河の信寵が多分に政略をふくんでいたものとはその当時から受け取れていなかった。
自分を知ってくださる知己だと感激していたのである。
今でもその未成年者的な若い考えから抜けえない義経であった
(15巻348頁)
【収録】
つらら簾
下天上天
女人結界
雪鼓
覇者の座
幕府成る日
大舅
静責め
流転迅速
藤室の八弟子
古女房
女体の異兆
初音の頼み
静・東送り
五ツ月の帯
嬲る
黄蝶奇事
鶴ケ岡悲曲
出生届
ものいわぬ四方の獣すらだにも
非情有情
猫と名月
大原御幸
月の輪の外
大原御幸・その二
おん素顔
霧の足音
六道
変化競べ時代
不死身の人
今年の盂蘭盆
薊と忠信
文覚草履
白い狗ころ
紺掻き功徳
吉田の沙汰
獅子身仏心
こだま
そう、しずかちゃんは義経の愛妾「静」をもじった名前だ。
マンガに登場する名前の幾つかはこのようにして馴染み、原典に出会ってみて「やぁ、こんにちは」といった気分に浸れることがある。
...で、この静の存在を現代に置き換える存在というものがなかなか思い描きにくい。
芸能人という存在とは異なるし、仮に歌舞伎役者の女性版という存在があればそれが近いのかな、と思う。
市川染五郎とか市川海老蔵とかが駆け出しの頃って若く、男前、それでいて品がある。
そんな存在なのかなぁ…。
何にせよ、彼女の運命は過酷。
吉野山での愛する男性との別離、憎むべき相手は愛する男の兄、そしてその兄と兄嫁を目の前にしての舞い、愛する男性との間に出来た赤子を奪われ葬り去られる、実母の裏切り。もうこれだけで昼ドラの素材には十二分過ぎるほどである。
歴史上、静かの末路は謎らしく、赤子を奪われたあとの彼女の足取りは記録にないとのこと。
この辺が女性を軽く扱っているという意見も多く寄せられるところだが、逆に言うと、彼女が義経の子を孕んでいたから捕えただけで、彼女自身にスパイ活動する必要がなかったということ。
自由を得られたことは静にとっては救いであったのだと願いたい。
素晴らしい詩、ここまで愛されれば幸せに尽きる。
ここまで愛される経験をした義経がこの詩を知っていたのだろうか。
「吉野山 峰の白雪 踏みわけて 入りにし人の あとぞ恋しき」
「しづやしづ 賤のおだまき くり返し むかしを今に なすよしもがな」
「本文よりのコーナー」
「最も続く愛は報われない愛である」という言葉があるけれど、それを文章にしたものかな?
艱苦を伴ってみない男女の仲は恋などと名づけてみてもまだ骨身に恋を味わったことでもなければ生命のうえに愛をおいて自分を捧げきったことでもなにのではなかろうか。
(15巻235頁)
麻鳥が静かを励ます言葉。
希望を抱かせる言葉、でもその実現は低いように聴こえてしまうのだけれど、でもこの文章は普遍的なものを感じさせる
どんな現実というものも実は間断なく変わっています、変わるなと願っても推移せずにおられませぬ。
人の境遇も、人おたがいの心も。
(15巻338頁)
ああ、義経って純情過ぎ、直情過ぎ。というか子供なんだよなぁ
後白河の信寵が多分に政略をふくんでいたものとはその当時から受け取れていなかった。
自分を知ってくださる知己だと感激していたのである。
今でもその未成年者的な若い考えから抜けえない義経であった
(15巻348頁)
【収録】
つらら簾
下天上天
女人結界
雪鼓
覇者の座
幕府成る日
大舅
静責め
流転迅速
藤室の八弟子
古女房
女体の異兆
初音の頼み
静・東送り
五ツ月の帯
嬲る
黄蝶奇事
鶴ケ岡悲曲
出生届
ものいわぬ四方の獣すらだにも
非情有情
猫と名月
大原御幸
月の輪の外
大原御幸・その二
おん素顔
霧の足音
六道
変化競べ時代
不死身の人
今年の盂蘭盆
薊と忠信
文覚草履
白い狗ころ
紺掻き功徳
吉田の沙汰
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